日本書紀神代上、第五段の一書群に
・・・そこで天真名井(あめのまない)を三ヶ所を掘って、向かい合って立たれた。・・・
まず天照大御神は八坂瓊の曲玉(やさかにのまがたま)を天真名井に浮かべ手許に寄せて、瓊の端を嚙み切って・・・・
次に素戔嗚尊が持たれている剣を天真名井に浮かべ手許に寄せて、剣の先を嚙み切って・・・・
この石に穴が開いています。穴が掘られているのです。
最初のパワーストーンです。この神話はこの石の前で行われた神事を語っているのです。
このパワーストーンの名前は、『天真名井(あめのまない)』です。
この石の上で宇宙エネルギーを入れたのが、神話の中で語られているのです。
その現物がここに存在しています。
衛氏朝鮮は三代衞右渠の時、前漢の武帝に滅ぼされ、領地は楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡として400年間直轄支配(南部や東部は間接支配)されたが、移転や廃止により最後は楽浪郡のみが残った。倭国では天照大御神の時代です。もちろん後漢光武帝の時代も入ります。
“素戔嗚尊”の筆が止まってなかなか書き進めなくなっていたのですが、理由はここにありました。素戔嗚は二度“追放”されているのですが、最初の追放先が朝鮮だったようです。時期は金印事件の前後です。
韓国の春川に牛頭山と呼ばれる場所があり、ここに素戔嗚尊が50人の兵士と妹を連れて出雲へ渡ったという伝承があるのです。
『日本書紀』巻第一神代上第八段一書に、素戔嗚尊が新羅の曽尸茂利/曽尸茂梨(ソシモリ)という地に高天原から追放されて降臨し、「ここにはいたくはない。」と言い残し、すぐに出雲の国に渡ったとの記述があります。符合する話しです。
「ソシモリ」は「ソシマリ」「ソモリ」ともいう朝鮮語で、牛頭または牛首を意味し、朝鮮半島の各地に牛頭山という名の山や牛頭の名の付いた島があるのは、牛頭天王とも言われる“素戔嗚尊”が朝鮮でも活躍した証しでもあります。
糸島、JA糸島産直市場“伊都菜彩”入口すぐ近くの“波多江神社”の第一鳥居を入ったらすぐ左手にあります。
三社神社のパワーストーンと同じような穴があけられています。
同じ宇宙エネルギーが来ています。
このパワーストーンのほうが先に作られたようです。二代目“天照大御神”が使っていたようです。
詳しい解読はそのうちに行います。
取り急ぎ発見の報告でした。
ここに“瓊瓊杵尊”が封印されていました。
日向三代の神話に登場する初代“瓊瓊杵尊”も殺されて封印されていたのです。
封印したのは“豊玉姫”です。
時期は金印事件の数か月後、これで邪魔な存在は素戔嗚と月読を残して事実上消えました。
山幸彦、“日子穂穂手見尊”の仕業です。
“瓊瓊杵尊”にとって、倭国大王を目前にしての、想いもかけない結末でした。無念の念も相当なものだったのです。我が子を殺され権力を奪われ無念の想いで死にました。
その思いが光の世界への道を閉ざし、五次元幽界闇の世界へと落ち込ませたのです。
場所は糸島市前原中央にある“老松神社”です。
多分殺害現場です。
“日子穂穂手見尊”の妻“豊玉姫”です。
彼女も霊能力者でした。“月読尊”の次男で三代目“天照大御神”の夫も彼女が封印したようです。
ではどうやって“封印”したのでしょうか?
私の主な仕事の一つに[四次元幽界を彷徨う人、五次元憎しみの世界に閉じ込められた人達]を救い出すことがあります。
封印された人達は“五次元憎しみの世界”にいたようです。今はこの世界が崩壊したので五次元幽界を彷徨っているようです。
この霊能力者たちはこの“五次元憎しみの世界”の存在を知っていたようです。この世界へ送り込めば、閉じ込められて現世へ転生出来ない事も知っていました。
封印の方法は(強い憎しみの想い)を持たせて殺害することなのです。殺害時、もしくはその直前にとても強い憎しみを持たせることで“五次元憎しみの世界”へと送り込んだのです。
素戔嗚の髪の毛、手足の爪を全て剥ぎ取ったのも憎しみの想いを強く持たせるためでした。でも人の心はそう簡単には操作できないのです。封印に成功したのは半分ほどだったようです。
「もう、おまえの役目は終わった」 まさに、封印の言葉です。