伊邪那岐から神武天皇までの家系図

 これが真実に最も近い家系図です。記紀のおかしな家系図は史実を隠すためのものです。神話を架空の世界へと導き、弥生人の進出を隠ぺいしているのです。

 

初代天皇は“素戔嗚尊”(すさのおのみこと)の子孫が就任する予定だったのです。それを“忍穂耳命”(おしほみみのみこと)の子“瓊瓊杵尊”が漢の“光武帝”と組んで乗っ取りをはかったのです。

 

“瓊瓊杵尊”の子“火遠理命”(ほおりのみこと)は更に後漢の影響を強く受けて、後漢の皇帝との血縁関係を作ることで倭国統一に後漢の力を利用しようとしたのです。

“火遠理命”の妻“豊玉姫”(とよたまひめ)は後漢“光武帝”の孫娘です。

 

大陸の血で汚すことに猛反対をした“瓊瓊杵尊”を、三男“火遠理命”は殺害してしまったのです。金印事件も長男“火照尊” 、次男“火須勢理尊”(ほすせりのみこと)を殺害するのが目的だったのです。

 

自らも後漢光武帝の孫娘“豊玉姫”を妻とし、妹“二代目天照大神”と後漢二代目皇帝“明帝”の間に“玉依姫”(たまよりひめ)を産ませたのです。そして日本の魂の中心“天照大神”に後漢の皇帝の血を入れ込んだのです。

 

“火遠理命”は“三代目天照大神”を殺し、“玉依姫”に天照大神を継がせます。これが天の岩戸隠れの事件なのです。

 

このあたりの動静を事前に察知していた“素戔嗚尊”(すさのおのみこと)は自分の孫娘を“三代目天照大神”の影武者として育てていました。殺されたのはこの影武者だったのです。本物の三代目“天照大御神”とその子は、“月読尊”(つきよみのみこと)がかくまって逃げたのでした。日本の古代史に太陽神の一方の神である“月読尊”の存在があまりに薄いのは、このあたりの事情があるものと思わります。

 

次に“火遠理命”は、“天照大御神”の死因を“素戔嗚尊”に押し付け、手足の爪、髪の毛を全て抜き取り対馬へ島流しにしたのです。

 

ここに“瓊瓊杵尊”➡“火遠理命”➡“鵜草葺不合尊”(うがやふきあえずのみこと)➡“神武天皇”という弥生人による天皇制の基盤が築かれたのです。

 

日本から縄文の古き良き伝統が消え去った瞬間です。今もこの流れは日本を揺さぶり続けているのです。日本の歴史教育、古代史、天皇制、伊勢神宮、和歌の解釈、等々脈々として事実を隠蔽し続けているのです。