・・・怒れ・・・素戔嗚

神話に“素戔嗚尊”が登場する場面は数多く、出てくる順に時系列に捉えると混乱してしまう。

古事記、日本書紀などにまとめられる前は、それぞれ独立した神話として、宮廷をはじめ有力な諸氏族によって伝承されてきたものなのです。

 

“素戔嗚尊”が生きた時代からすでに700年が経過しているのです。一つ一つの話の時代関係も分からなくなっていました。意図的に前後の入れ替えも行われています。

 

しかし此処に“現存する遺跡”をはめ込んでいくと、この前後関係の入れ替えを修正することが出来てきます。すると面白い史実が展開を始めるのです。

 

現在の考古学はこれを“意図的”に避けているのです。そして出土物をたんなる物質としてしか扱わず、出土物に心の息吹を吹き込むことを意図的に避けているのです。

日本書紀、古事記の編纂の時に行われた“歴史の隠匿”が現代の考古学でも未だに守られ続けられているのです。この力は何処から出ているのでしょうか?

 

“天照大御神”を死なせた原因を“素戔嗚尊”に負わせ、髪を抜き、手足の爪を抜いて対馬に島流しにしてしまいました。対馬の“塔の首遺跡”が“素戔嗚尊”の墓です。罪人として小さく葬られています。

古代日本の“英雄”を悪者に仕立て上げているのです。そして“素戔嗚尊”の子孫が天皇になるはずだったのに、大陸の渡来人の血が初代天皇に入りこんだのです。

 

“素戔嗚尊”は出雲平定にも参加し、日本統一の礎を築いたのです。

草薙剣をはじめ大国主之神あるいはその後の天皇の神器の出所も“素戔嗚尊”なのです。

日本初の和歌を詠んだり、木の用途を定めたりなど文化の面でも優れた働きをしているのです。パワーストーンを作り、地底人との交流までやっていた、多彩な能力を持つスーパーマンだったのです。

 

 


出雲青銅器工房センターを作った“素戔嗚尊”

“素戔嗚尊”の長兄“天之忍穂耳尊(あめのおしほみのみこと)”が“奴国”へ倭王として移動した時、“素戔嗚尊”は“伊都国”に残りました。出雲平定には“伊都国”から出発したのです。その時はまだ“伊邪那岐尊”は生きていました。

 

出雲平定の中で“素戔嗚尊”は“櫛名田比売(くしなだひめ)”と出会い、妻とするのです。そして出雲の須賀に“須賀の宮”を作り“櫛名田比売”の父“足名椎神(あしなづちのかみ)”をこの宮の“首長”にしたのです。

 

この時に作った歌が日本最初の和歌なのです。

 

      八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

 

八雲とは煙のこと、素戔嗚は沢山の青銅工房を作ったのです。青銅工房の煙が立ち上ったのです。銅剣、銅矛、銅戈、銅鐸を作る工房の煙が、妻を籠らせるために作った宮のめぐりに、青銅器の鋳型を作るよ、その見事な煙と雲の八重垣よ。

 

“櫛名田比売”の父“足名椎神(あしなづちのかみ)”は青銅器作りの技術者だったのです。“足名椎神”を長にして出雲の須賀に“素戔嗚尊”は青銅器工房センターを作ったのでした。

 

“八俣の大蛇”の神話は青銅器作成の過程を描いているのです。“素戔嗚尊”が言った

「おまえたちは何度も繰り返し醸した強い酒を作り、また垣を作りめぐらし、その垣に八つの入り口を作り、入り口ごとに八つの仮の台を作り、その台ごとに酒を入れる器をおいて、その器ごとにその強い酒を置いて待っておれ」というのは、まさに青銅器作成の手順なのです。

 

“垣を作りめぐらし”というのは、青銅器の鋳型を作る工程のことです。八つの溶解した青銅の流し口を持った鋳型だったのです。“酒を飲んで眠ってしまった大蛇”とは、溶解した青銅を流し込まれた煮えたぎる鋳型が冷えて固まった様子です。(八つの流し口を持った青銅器は巨大な銅鐸の製造過程でしょう。)「御剣で尾を刺し裂いてごらんになると」というのは、まさに鋳型を二つに割って出来上がった青銅器をとりだす場面です

 

そして大蛇から出てきた剣が“草薙の太刀”なのです。巡り巡って今は、“熱田神宮”のご神体となっています。

 

“素戔嗚尊”は、ここで数々の御神体となる銅剣を製作しているのです。

 

奈良県にある石上神宮の主祭神“不都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)”は“建御雷神”が帯びておられた神剣“韴霊(ふつのみたま)”で“平国之剣(くにむけのつるぎ)”とも言われています。

日向一代“瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)”に献上し神武天皇が帯びておられた神剣“不留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)”も石上神宮にあります。

そして素戔嗚自身が所持していた神剣“布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)”も石上神宮に現存しています。

我が国“古代の霊剣”四本のうち三本がこの石上神宮の主祭神として現存しているのです。もちろん“素戔嗚尊”が作らせたものです。

 

この四本の“神剣”を持って“素戔嗚尊”は初代“天照大御神”のいる“伊都国”へ帰るのです。そして“草薙の太刀”を“天照大御神”に献上するのです。“不都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)”と“不留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)”は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)”に献上したのです。

 

この後“素戔嗚尊”は朝鮮へ渡るのですが、その前に彼の最大の仕事“パワーストーン製作”があるのです。

 


地底人と出会った素戔嗚

これが、彼が作った最初のパワーストーンです。

 

場所は糸島、JA糸島産直市場“伊都菜彩”入口すぐ近くの“波多江神社”の第一鳥居を入ったらすぐ左手にあります。


二代目“天照大御神”、“忍穂耳尊”の娘が使った物です。


この石に“青銅鏡”、“勾玉”をのせて宇宙エネルギーを入れたのです。


宇宙エネルギーの入った銅鏡や勾玉は不思議な力を発揮したのです。


霊障は簡単に取れたでしょうし、病気、痛み、心の病も改善させたでしょう。天候も左右させたかもしれない。現代の人々と違って、古代の人達は微細な体調の変化にも気づいたでしょう。


このエネルギーを持つに“青銅鏡”、“勾玉”を持った人は、並外れた霊能力者として崇められたのです。


どうして“素戔嗚尊” はこのパワーストーンを作ることが出来たのでしょうか?

このパワーストーンをの作り方を教えたのは地底人“羽明玉(はあかるたま)”なのです。女性です。

 

日本書紀巻1 神代 上 第五段の一書群に

 

一書はいう、 素戔嗚尊が天に昇ろうとされる時に、一柱の神がいた。名を羽明玉と申す。この神が素戔嗚尊をお迎え申し上げて、瑞八坂瓊の曲玉(清らかな美しい大きな玉で作った曲玉)を献上した。

 

とあります。ガラス製の曲玉のようです。羽明玉はガラスの製法とパワーストーンを素戔嗚尊に伝えたのです。今ではガラスは安い素材ですが、2000年前は魔法の素材でした。天照大御神の勾玉もガラス製でした。

 

 

日本書紀 神代 上 第五段の一書群に

 

・・・そこで天真名井(あめのまない)を三ヶ所を掘って、向かい合って立たれた。・・・

 

まず天照大御神は八坂瓊の曲玉(やさかにのまがたま)を天真名井に浮かべ手許に寄せて、瓊の端を嚙み切って吹き出した息吹の中に生じた

・・・次に素戔嗚尊が持たれている剣を天真名井に浮かべ手許に寄せて、剣の先を嚙み切って・・・・

 

 

この石に穴が開いています。穴が掘られているのです。

 

最初のパワーストーンです。この神話はこの石の前で行われた神事を物語っているのです。

 

このパワーストーンの名前は、『天真名井(あめのまない)』です。

 

この石の上で宇宙エネルギーを入れたのが、神話の中で語られているのです。

 

その現物がここに存在しています。

 

ここで行われた神事とは勾玉と青銅鏡に宇宙エネルギーを入れる神事だったのです。宇宙エネルギーの入った勾玉、青銅鏡は色々な不思議な力を発揮したはずです。その力はパワーストーンの項目を見ていただければ分かると思います。


“素戔嗚尊”と“天照大御神”の誓約(うけい)

日本書紀 神代 上 第五段の一書群に

 

・・・そこで天真名井(あめのまない)を三ヶ所を掘って、向かい合って立たれた。・・・

 

まず天照大御神は八坂瓊の曲玉(やさかにのまがたま)を天真名井に浮かべ手許に寄せて、瓊の端を嚙み切って吹き出した息吹の中に生じた神を“市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと)”と申す。これは遠い沖にに鎮まります神である。別名を“狭依毘売尊(さよりびめのみこと)”と言います。

 

光の世界にいる彼女からのメッセージ

 

『騒がしい世界の騒々しさに巻き込まれないようにね

 内なる自分を見失わないようにね

 私は何時もあなたに語り掛けているわ

 宇宙の響きに耳を傾けてね

 私は何時もあなたの傍らにいるわ』

 

以下は宗像大社の案内文です。

 

 宗像大社は天照大神の三柱の御子神をおまつりしています。三女神の

 お名前は 田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのか

 み)、 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申し上げ、田心姫神は

 沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神は 中津宮(なかつぐう)、市杵島姫

 神は 辺津宮 (へつぐう)におまつりされており、この三宮を総称し

 て「宗像大社」と申します。

 

・・また瓊の中を嚙み切って吹き出した息吹の中に生じた神を“田心姫尊(たこりひめのみこと)”と申す。中津宮に鎮まります神である。

 

彼女からのメッセージ

 

『惑わされないでね

 あなたの前に道は何時もあるわ

 台風が来ても、地震が来ても、噴火が起きても、あなたの前に道はあ

 るわ

 あなたを混乱させる仕掛けは一杯あるけど、あなたの前に、道は用意

 してあるのよ』

 

 

 

 


追放された素戔嗚尊

これが二代目と三代目の“天照大御神”が使ったパワーストーンです。

  

糸島“井田交差点”の信号機から東へ300メートルほど行ったところの“三社神社”の境内にポツンと置かれています。

 

据え付ける角度が悪いので、普通は宇宙とつながるはずはないのだが、不思議に“宇宙”と繋がっている。

 

三代目“天照大御神”の為に作られたパワーストーンです。

 

 このパワーストーンを作った後、何が起こったのでしょうか。

 

この頃、倭国王は伊都国の “火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)”でした。その傍に三男の“彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)”(山幸彦)がいました。

 

隣の“奴国”は 、火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)の長男“火照尊(ほでりのみこと)”(海幸彦)が諸国王として治めていました。

 

倭国王と言ってもまだ九州を中心とした地域にとどまり出雲地方や近畿地方は独立した国として自立した存在でした。

 

 

火瓊瓊杵尊は中国の後漢初代皇帝“光武帝”の力を借りて国家統一を画策したのです。

 

これに長男“火照尊(ほでりのみこと)”(海幸彦)は従おうとしなかったのです。素戔嗚もこれには賛同しなかったのです。

 

狡猾な洪武帝は諸国王である火照尊(ほでりのみこと)に金印を贈ることで、倭王に背いた諸国王という烙印を押したのです。

 

奴国討伐の口実のできた火瓊瓊杵尊は三男“彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)”に奴国討伐の命を下したのです。志賀島まで追い詰められた彦火火出見尊は金印を志賀島の海岸に隠し海へ逃れたのです。光武帝を頼って中国へ逃げたのです。

 

彦火火出見尊と同じ立場に立つ素戔嗚も国外退去命令をを受けたのでした。行先は朝鮮でした。

朝鮮へ渡った“素戔嗚尊”

衛氏朝鮮は三代衞右渠の時、前漢の武帝に滅ぼされ、領地は楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡として400年間直轄支配(南部や東部は間接支配)されたが、移転や廃止により最後は楽浪郡のみが残った。倭国では天照大御神の時代です。もちろん後漢光武帝の時代も入ります。

 

“素戔嗚尊”の筆が止まってなかなか書き進めなくなっていたのですが、理由はここにありました。素戔嗚は二度“追放”されているのですが、最初の追放先が朝鮮だったようです。時期は金印事件の前後です。

 

韓国の春川に牛頭山と呼ばれる場所があり、ここに素戔嗚尊が50人の兵士と妹を連れて出雲へ渡ったという伝承があるのです。

 

『日本書紀』巻第一神代上第八段一書に、素戔嗚尊が新羅の曽尸茂利/曽尸茂梨(ソシモリ)という地に高天原から追放されて降臨し、「ここにはいたくはない。」と言い残し、すぐに出雲の国に渡ったとの記述があります。符合する話しです。日本書紀には新羅となっていますが、これは日本書紀編纂時が新羅であり、素戔嗚の時代は楽浪郡の時代です。

 

「ソシモリ」は「ソシマリ」「ソモリ」ともいう朝鮮語で、牛頭または牛首を意味し、朝鮮半島の各地に牛頭山という名の山や牛頭の名の付いた島があるのは、牛頭天王とも言われる“素戔嗚尊”が朝鮮でも活躍した証しでもあります。


素戔嗚を死に追いやったのは誰

後漢の皇帝の圧力

素戔嗚が朝鮮へ追放されている間に、火瓊瓊杵尊の倭国統一は進んでいきます。後漢の国王のもとへ身を寄せた長男“火照尊”を追って三男“彦火火出見尊”も駆けつけます。

 

ここで後漢の皇帝(この時光武帝は死去していた)から手厚い接待を受けた三男“彦火火出見尊”は父親以上に後漢の影響を受けるようになります。光武帝の娘を妻にし、その妹を天照大神に据えるよう圧力をかけられたのです。

 

彦火火出見尊は後漢の皇帝から“潮盈珠”と“潮乾珠”をもらい、長男“火照尊”のくびを下げて軍船で堂々と凱旋してきたのです。

 

この時すでに彦火火出見尊は父親の存在を軽視し始めていたのです。

 

帰還した彦火火出見尊は三代目“天照大神”に、光武帝の娘“玉依姫”にその座を譲り渡すよう強要したのです。

天照大神の自決

三代目“天照大神”がそれを認めるわけはなく、 “火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)”も血を売り飛ばす行為までして倭国統一は望みませんでした。

 

ここに親子の断絶は頂点を極め、ついに彦火火出見尊は父“火瓊瓊杵尊”を暗殺してしまうのでした。

 

これを知った三代目“天照大神”は鏡を全て破壊し自身が祭る太陽が昇るとき首を吊って自害したのです。

 

“天照大神”の自決など許されないことで、これが知れ渡れば“彦火火出見尊”の存在は民衆に完全に否定されます。

 

彦火火出見尊は天照の死を殺人にすり替えたのです。犯人を夫にして公開で火あぶりの刑にしたのです。

 

そして光武帝の娘“玉依姫”を四代目天照大神に仕立て上げたのです。しかし天照大御神の本当の能力は光武帝の娘には知る由もありません。

 

玉依姫を天照大神に擁立してその子“神武天皇”を初代天皇としてまつりあげても諸国はそう簡単には従わなかったのです。

素戔嗚はこの事件を朝鮮で知りました。

 

素戔嗚の怒りは頂点に達しました。追放の身でありながら三台目“天照大御神”のもとに駆け付けたのです。

 

しかし、追放命令を無視して帰国した素戔嗚は彦火火出見尊に捉えられたのです。

 

そして髪の毛や手足の爪を全て剥がれ、遠く対馬に遠島になったのです。

 

墓は上対馬最北、比田勝港のある湾の最奥の小高い丘陵にあります。現存する四基の箱型石棺とその副葬品から素戔嗚とその家族とみられる人たちの墳墓であることが分かります。なぜならこの銅矛には宇宙エネルギーが注入されているのです。

 

日本がパワーの国からフォースの国に落ちた時、素戔嗚とその家族は遠く朝鮮の見える対馬の最北で、変わりゆく日本をどんな思いで眺めていたのでしょう。

 

これと同じ宇宙エネルギーの入った銅矛を出雲大社横の古代出雲歴史博物館で見る事が出来ます。宇宙エネルギーをたどれば素戔嗚の足跡も明確に追跡できます。

 

古代の英雄は悪者素戔嗚として歴史から葬り去られているのです。