徐福伝説は何を意味するのか

徐福は失われたユダヤの10支族の中のエフライム族

徐福はエジプトから脱出し行方の分からなくなっているユダヤの失われた10支族のうちの一つ“エフライム族”なのです。

 

司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衝山列伝」によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に不老不死の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述があります。

 

満を持して、徐福は潜伏していた中国から、東方の水で守られた国日本に、始皇帝の財力を利用して3000人の支族と多くの技術者を従え、五穀の種も持参して日本にやって来たのです。

 

始皇帝を騙して中国を去ったのです。詐欺師として中国の歴史に残っているのはそのせいなのです。

 

ユダヤの民の最終目的地日本に、このようにして、次々とユダヤの支族たちがやって来たのです。徐福もその一人だったのです。

 

そして佐賀県佐賀市金立の地に住み着いたのです。そして巨石パークのとある石に病気を治す“宇宙エネルギー”を見つけ出したのです。

 

そのエネルギーを使い倭国の国家建設のために、お辰という若い女性にそのエネルギーを託し、倭国王の元に送りこんだのです。ある密命とともに。

 

密命とは大陸が日本侵略に乗り出そうとしているということでした。徐福は日本の平和が乱されることを懸念したのです。倭国騒乱はユダヤの民の安全も脅かすのです。

 

その為に大陸の侵略の前に倭国の国家体制の基礎を固めておく必要があったのです。このお辰の運んだエネルギーが伊邪那岐、伊邪那美に伝えられたのです。伊邪那岐伊邪那美の国生み神話です。お辰とともに多くの技術者も同行させたのです。技術の集積場所“今山遺跡”が選ばれたのです。


お辰伝説

徐福は、土地案内を頼んだ源蔵の娘お辰と恋仲になります。しかし、徐福が金立を去るとき「5年後に戻る」との伝言が「50年後に戻る」と誤って伝わったため、お辰は悲しみのあまり入水したと伝えられています。金立神社のお辰観音はこの悲恋に由来するものです。

 

お辰という女性がいなくなったという史実が変化して現代に伝えられているのです。

 

お辰は徐福からある指名を与えられて、金立の地を去ったのです。

 

死んだことにして身を隠したのです。

 

お辰と共に多くの技術者が秘密裏に同行して有明海を出航したのです。そして西回りで能古島の西を通り今津湾の今山工房に上陸したのです。


お辰は徐福が連れて来た“エフライム族”の若い女性

お辰は源蔵の娘ではなく源蔵、大陸から徐福が連れて来た、3千人の若者たちの一人だったのです。

 

お辰は“宇宙エネルギー”を感じ、使える能力を持っていたのです。

 

この能力を徐福は見抜き、エネルギーの活用方法をお辰に伝授したのです。

 

古代ユダヤの血を引くお辰が倭国建国の礎を築くことになるのです。

 

このお辰観音堂の植え込みで見つけた“お辰の石”に銀河創造のエネルギーが入っているのです。

 

このお辰観音にも天の川銀河の中央からやって来るエネルギーが降り注いでいます。

 

このエネルギーと同質なのが“伊邪那美の石”のエネルギーなのです。



お辰上陸の地“今山遺跡”

今津湾の東側に位置し、標高約80mの今山全体が今山遺跡です。

 

山頂及び山麓部に存在する玄武岩の露頭や転礫を用いた縄文時代からの石斧製作工房跡です。

 

昭和6年、中山平次郎によって製作所跡の存在と製作工程(粗割→打裂→敲打→研磨)が推定されました。

 

近年の調査では製作所跡が今山全体に分布することや製作時期が縄文時代から弥生時代前期末までに及ぶことが判明しました。


また、北部九州の広範な地域から今山産石斧が出土することから縄文時代から弥生時代前期末までのの交易を示すものとして注目されるものです。


本来は、南北にふたつの頂を持つラクダの背のような独立丘陵でしたが、北半分は宅地化し、すでに失われています。

 

南の丘陵には熊野神社が祭られており、今津湾に開けた眺望は美しく海からの交易も盛んだったと思われます。。

 



今山で見つけたパワーストーン

今山遺跡の頂上近くの熊野神社の右手を頂上へ上る会談で見つけた“今山の石”です。

 

この石がお辰が此処へ上陸した事実を証明してくれました。

 

お辰の石と同じ“天の川銀河”の中央から出ている銀河創造のエネルギーが入っているのです。

 

縄文時代からの石器工房として栄えた今山工房は、ここから各地へ石器を送り出していたのです。

 

縄文時代が狩猟の時代という嘘が暴かれた瞬間です。

 

此処へお辰と大陸の技術者が大挙してやってきたのです。

 

その技術革新は目を見張るものがあったと思われます。