伊耶那岐尊、伊耶那美尊は実在の人だった

伊耶那美尊(2号甕棺)の甕棺です。

 

墳墓の名称は三雲南小路遺跡(糸島郡前原町三雲)で細石神社の裏側に位置します。

 

1号甕棺は文政5(1822)年2月に発見され鏡35面、有柄銅剣1本、銅矛2本、銅戈1本、ガラス製璧多数、ガラス製勾玉、ガラス製菅玉多数が出土しました。

 

墓域は1,000平方メートルに及ぶ墳丘墓でした。

 

そして墳丘西側の周溝では弥生後期~古墳前期に何度も溝の掘り返しが行われていて、墓を築いてから200年以上の長期間、墓への祭祀が続けられていたことが分かります。

 

また、周溝からは弥生後期前半の土器に水銀朱の付着した物や、朱を精製するための杵なども多数出土しており、墓の周囲で水銀朱を用いた祭祀が行われたこともうかがえる。墓前で行われていた祭祀の一端も分かってきました。

 

このように“三雲南小路遺跡”墳丘墓は、これより以前の弥生墳墓とは隔絶した内容を伴う墓なのです。

まさに“倭国”の絶対的な統治者としての伊都国の“始祖王”であったのです。

 

 神話に登場する“伊耶那岐尊、伊耶那美尊”がこの墳墓の“被葬者”だったのです。初代“天照大御神”の両親です。つづく