岩倉使節団の意味するもの

西欧諸国の日本侵略が明治維新であったとすれば、それを押し進めた人たちは誰だったのでしょう。1年10か月にもわたり国を留守にし、アメリカ、ヨーロッパをめぐってきた100余人の人達はそれぞれの要職に就き日本を変革していったのです。大久保暗殺の後、岩倉具視を支えた伊藤は、初代総理大臣となるのです。岩倉使節団の中で暗殺されたのは大久保利通と伊藤博文、村田新八の三人だけで、あとは粛々と日本変革を成し遂げていくのです。

 

その陰で西欧諸国の思惑がうごめいているのです。ハリスやグラバーの後、表に出てこなくなった外国人たちはどのようにして日本侵略を実行していったのでしょうか。

 

岩倉使節団たちは二年近い外遊の中で何を見、何を得てきたのでしょうか。選ばれた100余人の人達はどのような人達だったのでしょうか。その人選の裏に西欧諸国の侵略の影が存在するのです。

 

少なくとも明治維新の中央に岩倉を据えて日本を実効支配しようとした構図は簡単に見て取れます。

 

帰国後、邪魔者は全て消されるか排除されていきます。

 

岩倉使節団として渡航した人達にはほとんど粛清された人はありません。ほぼ全員が色々な持ち場を与えられて西欧支配を実行していくのです。

彼らの受け持ったものは多岐にわたりますが、ごく一部を抜き出してみました。

 

維新史料編纂委員、内務省出仕翻訳事務局御用掛、東京日日新聞社長、初代帝国大学総長、司法省民事局長、清露英全権公使大使、外務省通商局長、国史編纂、大阪株取引所頭取、県令知事、皇室の養育掛長、初代警視総監、外国事務総督、司法大臣、大学設立、天皇親政運動、教育制度改革、日海軍機技総監、生命保険会社社長、東京砲兵工廠長、文部省医務局長、福岡県令、北海道庁長官、各県知事、農商務省工務局長、文部大書記官、文部司法官僚、貴族院勅選議員、文部官僚、日本近代製鉄の父、税務局長、自由民権運動、皇典講究所所長、宮中御歌所寄人、帝室編纂局総裁、三井財閥総裁、公使、大使、大臣、ハワイ国領事、女子英学塾、チャリティー企画やボランティア活動、音楽教育、鉄道会社、長崎造船所所長、商法講習所、銀行支配人、神社合祀、キリスト教布教、大学設立、宮中顧問官、朝鮮総督府政務総監、日本鉄道社長、宮内次官、初代日銀総裁、教育行政

 

これらの全てに裏金が動き、西欧支配のための仕組みづくりが行われていったのです。御用学者がそれを正当化し、裏を消していったのです。その支配体制は現在も微動だにせず残っているのです。

 

これが明治維新の真の姿です。この時からフリーメイソンによる日本支配が始まったのです。その日本の中心人物が岩倉具視だったのです。そして日本最初の国葬が岩倉具視でした。お公家様と皇室が日本を動かしていたのです。だから京都や皇居は爆撃されないのです。

 

金を出したのはグラバーですが、その配分先を決めたのは岩倉だったのです。グラバーだけでは金の配分先を決めることはできないのです。日本の内部事情に精通した人物が必要だったのです。そのフリーメイソンによる日本支配は今も網の目のごとく張り巡らされた情報網によって操作されています。

 

竜馬暗殺指令は岩倉から出たとみるのが自然ではありませんか。

 

グラバーが陰で動かしたという主張を声高に述べている人達もまたフリーメーソンなのです。

 

本当の実態を隠すために・・・