“天之忍穂耳尊(あめのおしほみみこと)”の墳墓が春日市須久岡本から見つかっている“男王墓”です。副葬品は、瑠璃璧3片、前漢鏡32面以上、銅剣2本、銅戈4本、瑠璃勾玉と瑠璃菅玉が出土しています。
“天之忍穂耳尊(あめのおしほみのみこと)”は日向一代“瓊瓊杵尊”の父親です。そしてこの時代の“倭王”でした。この時“倭王”は“伊都国”から“奴国”へ移動していました。
光武帝から派遣された軍師“建御雷神”は“天之忍穂耳尊”と“瓊瓊杵尊”に仕えました。出雲平定は、“天之忍穂耳尊”と“瓊瓊杵尊”と軍師“建御雷神”によって実行されたようです。
そしてその子、日向一代“瓊瓊杵尊”は出雲平定後“伊都国”へ移動したのです。
長男“火照尊”は“奴国”に残りました。諸国王として、“奴国”の王となったのです。“出雲平定”に功績のあった長男“火照尊”は次期“倭王”を約束されていたでしょう。出雲平定には船が必要不可欠ですから、“火照尊”は海上権益をそのまま引き継いだのです。
日向一代“瓊瓊杵尊”は出雲平定後“伊都国”へ軍師“建御雷神”と共に移動しました。軍師“建御雷神”の墳墓は“伊都国”の井原鑓溝で発見されています。副葬品は新・後漢鏡21面、巴形銅器3個,鉄剣等が発掘されています。王墓の資格である“玉”がありません。
三男“日子穂穂手見尊”は日向一代“瓊瓊杵尊”とともに“伊都国”にやってきました。日向二代です。
この後金印事件が起こったのです。
出雲平定の“祝いの品”として“金印”は送られたようです。“奴国”となっているのは、まだ“瓊瓊杵尊”が“奴国”にいたからです。
光武帝の下へ行った“火照尊”は父に授けられた“金印”を手にして、“漢委奴国王”とあるのを見て“奴国王”たる自分が貰う資格があると思ったのでしょう。長男海幸彦“火照尊”は、軍師“建御雷神”と共に出雲平定の最大の功労者だったはずです。出雲平定にはそれなりの働きをした自信もあったでしょう。それを“火照尊”は父に渡さなかった。
ちょっとした時間のずれの“悪戯”が生んだ悲劇だったのです。
これが“金印”が志賀島の水田の際の二人持ちの石の下に隠された真相です。
そして光武帝に洗脳された“山幸彦”、“日子穂穂手見尊”が光武帝の娘“豊玉姫”を連れて凱旋し“鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)”を生んだのです。日向三代目です。神武天皇の父です。
神武天皇の母は“豊玉姫”の妹、光武帝の娘“玉依姫”です。天の岩戸から出てきた“天照大御神”です。
日向三代の神話の最後が物足りないのは、神武天皇という大和へ東征した英雄の、父であり母である、“鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)”と“玉依姫”の行跡が全く書き残されていないのは、日本神話最大の謎であるのです。
ここに光武帝の想いは完全に成し遂げられるのです。