封印された“火須勢理尊”

海幸彦、山幸彦の話は実に詳しく書かれているのに、“火須勢理尊(ほすせりのみこと)”の活躍は何処にも出てこない。神話は彼を無視しているのです。

 

彼は、長男“火照尊(ほでりのみこと)海幸彦と“奴国(なこく)”に住んでいました。

魂年齢の古い火須勢理尊はしっかりと兄の補佐をして“奴国”を守っていたと思われます。

 

三男“火遠理尊(ほおりのみこと)”山幸彦とは、魂年齢が違いすぎて意思の疎通は出来なかったと思われます。

 

彼は多分“光武帝”の下心、野心にも気づいていたでしょう。しっかりと真実を見抜いていたはずです。

そこへ降りかかった金印騒動だったのです。理性だけで動く山幸彦とは解決策はなく、戦いになったと思われます。

 

志賀島で殺されているということは、兄と共に逃げる途中を襲われたと思われます。金印をとりあえず隠し、逃げるしか時間がなかったようです。

でも追手はそこまで迫り、火須勢理尊は兄の脱出のために自分の命を犠牲にしたのです。

 

“火須勢理尊”を殺した三男“火遠理尊”山幸彦はそれだけでは済ませなかったのです。倭国平定と倭国乗っ取りを企み始めていた“山幸彦”は死者の魂にまで魔の手をのばしたのです。

 

“火須勢理尊”が転生してきて、自分の作った倭国の邪魔をしないように、“火須勢理尊”の魂を四次元幽界に封印したのです。

 

これが「戻れぬ命はない」というメッセージを彼が出した理由です。このメッセージは六次元世界にいる彼の潜在意識から来たのです。

 

封印場所は金印塚だった

志賀島の南端の海のすぐ近くの人里離れた波打ち際近くの、崖っぷちに作られた小さな水田の際から倭国最高の宝物“金印”は発見されたのでした。


1900年前と変わらず潮風は穏やかに、血なまぐさい兄弟対決で沢山の血が流されたこの地を、波音と共に、何事もなかったかのごとく包み込んでいました。


農耕文化は富の蓄積を生み、貧富と階級の差を生みだしました。『漢書』地理誌に「楽浪の海中に倭人有、分かれて百余国と為り、歳時を以って来り献じ見ゆという」と記載があるように諸国王体制が出来始めていたのでした。


幼稚な倭国文化から見た、漢文化への“あこがれ”は強く、またその文化と技術力の導入は倭国統一国家を作るには必須のものでした。漢との交流に地理的に有利な北部九州が、諸国王の中でも強大な権力を持つようになったのは、想像に難くありません。“光武帝”もまた北部九州の力を利用しようとしたのです。


その証がこの“金印”なのです。



“火須勢理尊”が封印されていた場所です。


右の写真の中央、二本の木の右側根本に地縛霊となって封印されていました。


多分ここで殺害されたのでしょう。強い怨念をもって1900年の間この地に縛られていました。金印公園の入り口階段から、すでに、ただならぬ無念の想いが漂っていました。


“豊玉姫”も封印担当として立ち会っていたのです。強い憎しみをもって死ぬように凄惨な仕掛けをしたのです。



この子もここで殺されました。“火須勢理尊”の娘です。

そして妻たちも殺されたのです。


“火須勢理尊”の目の前でまず妻子たちを殺したのです。


罵りの言葉をかけた“豊玉姫”の存在は語りませんが、“火須勢理尊”の憤りはいかなるものだったでしょうか。


その憎しみの想いが、光の世界への道を閉ざし、真っ暗な五次元幽界の世界へと自らを落としこんでしまったのです。1900年の空白の時間です。


今、光の世界でこの子と語り合っている“火須勢理尊”は何を思っているのでしょう。





封印を解いたときに出てきたもう一人の存在です。

 

“大山津見”の妻です。

 

大変喜んで出てこられました。お礼の言葉を頂きました。

 

こちらこそありがとうございます。

 

そして“海幸彦”の逃げた方向を教えていただきました。

 

志賀島から南西の方向へ脱出していったのです。

 

やはり漢の国へ行ったのです。

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