伊邪那岐尊が存在を教えてくれた石

三雲での出来事

糸島市三雲にある三雲南小路遺跡です。

 

私は此処を勝手に“伊邪那岐”、“伊邪那美”の墳墓とみています。

 

この地をトラクターで耕した人が病気になり亡くなられたそうです。発掘調査した人もまた病気になり亡くなられたそうで、しばらく誰も手を付けられず荒れ果てていたそうです。

 

障ったのは“後漢”第二代皇帝“明帝”のようです。“明帝”は今も四次元世界に住んでます。“光武帝”の亡き後、“明帝”は“第二代天照大神”と交わり“玉依姫”を産ませたのです。そして“玉依姫”を“天照大神”に据えさせたのです。

 

2016年7月2日の土曜日に右手の細石神社にお参りしました。お参りをした直後に突然、突風が吹き荒れてびっくりしましたが、その後ここ三雲南小路遺跡を訪れた時、妻に降りてきた伊邪那岐が真北の方角を指示したのでした。

 

妻に言わせるとずっと遠く海岸線のあたりということでした。

 

地図を開いて真北の海岸よりを調べると、大原海水浴場の近くにその当時“島”であったろう小山がいくつか存在しました。

 

その一つの竹林にエネルギーを感じたのですが、伊邪那岐もまたそうだと教えてくれました。

 

竹林へは三日後の7月5日に探検に行くことになります。

竹林で見つけたパワーストーン

小山の道は100mほど歩いたあたりから、巨大な孟宗竹が道を突き破り繁茂していました。

 

朽ち果てた竹や、倒れ掛かった竹をよけながら、やぶ蚊の大群にも悩まされながら、汗だくで見つけ出したのがこのパワーストーンです。

 

地面の表面に顔を出していました。

 

周りに数個似たような石がありましたが、エネルギーを感じたのはこの石だけでした。

 

これを取り出した後、地図上のエネルギー反応も消えました。

 

入っているのは“宇宙エネルギー”で星のエネルギーではありません。

 

天井や吉野、十津のように宇宙の響きの収集装置でもありません。宇宙エネルギーそのものが詰まっている感じです。

 

この石には何かメッセージが込められているのですが、解読はこれからです。このエネルギーはスーパーブレス、チタンペンダントに入ります。

縄文の壺に描き込まれていたこの石のパワー

この縄文の壺の中心の丸い部分が太陽を現しています。

 

この石の“宇宙エネルギー”は、太陽を取り巻く“五次元宇宙のエネルギー”なのです。

 

細長くなっているところはUFOなどが移動する五次元通路です。

 

この五次元宇宙エネルギーは思考を顕在化する力があり、新しいものを生み出すエネルギーです。

 

創造のエネルギーともいえます。

 

“伊邪那岐”、“伊邪那美”はこの力を利用して国生みを行ったのです。

 

伊都国の国造りは、“伊邪那岐”、“伊邪那美”により“創造のエネルギー”を使って行われたのです。

 

縄文の息吹がまだ残っていたのです。

この力を利用しきれなかった瓊瓊杵尊

“伊邪那岐”の子の“忍穂耳尊”(おしほみみのみこと)です。“伊邪那美”の子ではありません。“伊邪那岐”の四人目の側室の子供です。“”伊邪那岐”の相当高齢の時の子になるのです。

 

“瓊瓊杵尊”の父になります。そして“素戔嗚尊”の父でもあります。

 

この“忍穂耳尊”の子の“瓊瓊杵尊”が倭王だった時代に、後漢の“光武帝”が日本侵略を図り始めたのです。

 

右の“璧”(へき)は、“伊邪那岐尊”の墓と思われる三雲南小路遺跡一号墓から出土したものです。“璧”は礼法で天を祀る玉器として使用され、諸侯が朝ずる際に天子への献上品として用いられたものでした。璧は日月を象徴する祭器として、祭礼用の玉器のうち最も重要なものでした。

 

“伊邪那岐尊”の甕棺から“璧”が見つかったということは、倭国の王が、天子の扱いを受けていたということになります。その他青銅鏡、銅剣、ガラス装身具、金銅四葉座飾金具など豪華な装飾品を携えて大陸から使者が来ていたのです。

 

後漢光武帝は倭国侵略の魔の手を“瓊瓊杵尊”を標的として始動し始めたのです。

 

“瓊瓊杵尊”は“伊邪那岐尊”や“忍穂耳命”が縄文の息吹を感じて、創造のエネルギーを使いながら推し進めた倭国統一を、一見華やかで高度の文明の“後漢”の力を利用し始めたのです。

 

それは“ 火遠理命 ”(ほおりのみこと)に引き継がれ、初代天皇“神武”の誕生へと繋がっていくのです。縄文の息吹が失われた瞬間です。

 

「人を見てるのか、人形を見ているのか。」

 

この言葉は“忍穂耳命”が“瓊瓊杵尊”に向けて発した言葉なのです。


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